コーチ石川の感動日記

153.「共に育つ」体験

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 最近の私の講演会には、当然のことのように親子連れで参加してくださる方が増えました。貴重な日曜日に、お父さん、お母さん、中学生の息子さん、小学生の娘さん、と御一家そろって参加してくださるご家族もあり、とてもありがたい気持ちです。

 当初は、「小学生にも伝わるかな~?」と懸念しながらやっていましたが、最近は、「あ、小学生もいたんだ!」とほとんど違和感がありません。参加者同士、コミュニケーションをとりながら体験をするワークも、大人に混じって参加しています。先日も、東京で何名かの小学生の皆さんが参加してくださいました。講座開催のお手伝いもしてくださった児玉大介さんが、このときの体験をこんなふうに報告してくださいました。児玉さんからご快諾をいただけましたのでご紹介します。

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 昨日はワークのパートナーとして10歳の男の子と組むことになり、とても新鮮でした(25歳差!!)。その彼は、いきなりお母さんと離れて知らないおじさん?(まだ若いけど)と組んだせいか、とても緊張ぎみで私まで緊張しそうになりました。ある意味、コミュニケーションとして私にとって死角であり、刺客でもありました。

 そんなこともあり、私の目標は「初対面でも安心して一緒に居られる存在」って勝手にワークのテーマを離れて取り組みました。

 最初のワークから、私もどんな感じで話をしようかと考慮が起こったのですが、彼のコメントが、「なんて言ったらいいのか、わからない」。
うおおおおおおぉ~!! すごすぎるぅ~!! なんてストレートなんだ!!
正直ですね。いきなりやられました。わからなければ、「わからない」と言ってしまえばいいのだ。言うことがなければ、黙っていてもいいのだ(自分の思っていることを伝えるワークだけど)。ついつい、気遣って(つもりになって)沈黙を言葉で埋めようとしていた私にとって衝撃でした。

 初対面で沈黙のコミュニケーションって、なんだか荒業って感じもしますが、実際のところ「何か話さなければ」を手放してみると私の中のひっかかりが消えていきました。

 ワークが終わっても、休憩時間をはさんでも、彼はお母さんのところに戻る気配もなく、ずっと私の隣に座っていてくれました。
※戻る席がなかったというオチかな?
まぁ、隣にいてくれた理由はわかりませんが、ポツリポツリと交わす会話には不自然さがなく、話したい時に話す自由さを感じました。あくまで私から見た感想ですが、最後に彼は「安心した。」と言ってくれました。

 今回は、一歩踏み出せたという感じで、また新しい一歩を踏み出そうという気持ちがわいてきました。あれっ?最後のワークって大半が初対面だったゾ・・・違和感なかったけど。

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 「子どもだから理解できない。無理」これは、大人の勝手な思い込みかもしれません。むしろ、いろんなコミュニケーションがあっていいことを大人に教えてくれる存在です。このお子さんは、最後にはたくさんの初対面の大人の皆さんとコミュニケーションを違和感なくとっていました。そんな姿を私は熱い気持ちで見ていました。

 「なんて言ったらいいのか、わからない」を受けとめてくれた児玉さんとペアを組めたことはこのお子さんにとってとてもラッキーな体験だったと思います。多分、その後の人生に大きな影響を与える体験だったのではないかとさえ思います。そして、お子さんから「何か話さなければ」を手放すことを教わった児玉さんにとってもとても大きな出逢いだったと思います。これを私は「共育」と呼びたいのです。

 児玉さん、本当に貴重な体験を伝えてくださって、ありがとうございます。

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