コーチ石川の感動日記

222.「生きる力」を引き出す

自分自身が社会人となり、
社会人教育に携わるようになって、
あらためて実感していることがあります。
     

社会に出たら、ものを言うのは
「学力よりも生きる力」だと。
     

「生きる力」の要素は、いろいろあると
思いますが、例えば、人と協力し合って
仕事を成し遂げていくコミュニケーション力
であったり、人を説得し動かしていく交渉力
であったり、タイミングよく物事を見極め
決断していく判断力、計画を立てて着実に
進めていく計画力、イレギュラーなことに
出会った時に冷静に対応し乗り越えていく
課題解決力なども挙げられるかと思います。
まだまだありそうです。

     
これらは、理論理屈を教わって身につく
ものではなく、本人が体験を通して、
自分でつかんでいくものだと思います。
     

日本の大学生に「この授業で学んだこと」を
レポートにまとめてきてくださいという
宿題を出すと、悲しいぐらい、参考資料
として渡した私のレジュメの文言を
書き写してきます。
     
「自分が何を感じ何を思ったか」という
自分の考察がほとんどありません。
自分の頭で考え、自分の言葉に落とし込んで
理解する過程をほとんどたどりません。
言われたことをそのまま覚えて再現するだけ。
つまり、「ほら、あなたが教えてくれた通り、
正しく覚えているでしょ」と証明することで
評価が得られると思っているのです。
これって、「生きる力」でしょうか?
     

昨今の新入社員に、「これ、やっといて!」
と頼むと、言われたことはやりますが、
それ以上のことはやりません。
「え?ここはやっといてくれなかったの?」
と言うと、「はい、そこまでは聞いてません
でしたから」と悪びれもせず答えます。
言われたことを言われた通りにしかできない、
これって、「生きる力」でしょうか?
     

よく、自立支援のためには、
「魚を与えるのではなく、魚のとり方を教え
なければならない」と言われますが、
「魚のとり方を教える」というのは、
オランダの教育現場から見ると、
ティーチングの域を出ていません。
     
とり方をどんなに教えたって、
ある日突然、魚がいなくなったら、
そこでもうアウトです。
生きていけません。ところが、
魚をどうやってとるのか、その方法を
自分で「編み出す力」を持っていたと
したら、たとえ、魚がいなくなったとしても、
鳥をとって生きていくことが
できるかもしれません。

     
「編み出す力」、これも「生きる力」
大きな要素です。
「編み出す力」は、自分で考え、
取り組んでみて、自分でつかんでいく
ものです。知識や方法を単に教えられる
だけでは育たないのです。

     
オランダの小学校で行われていたのは、
社会に出てから通用する「生きる力」を
伸ばす教育だと感じました。
やり方を丸暗記するのではなく、
やり方も自分で考えます。
何かクラスで問題が起きたら、
子どもたちが話し合って解決します。
自分の学びを他の子どもと共有し、
お互いに補い合い、人と協力し合う
大切さを体感します。
これらが自然と育まれる環境でした。
     

知識や情報を持っているだけでは不十分。
それをいかに使うか、いかに課題解決に
活かすか、その力を引き出すのは、
やはり「コーチング」による教育なのだ
と私は強く思うのです。

 

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