コーチ石川の感動日記

218.「やりたいこと」をやるのに「やる気」は要らない

今、「勉強」という言葉を聞いて、
「ワクワクする」日本の子どもたちが、
どれぐらいいるでしょうか。
「今日も授業を受けるのが楽しみだな!」
と思って、学校に行く子どもがどれぐらい
いるでしょうか。

 

「勉強」とか「宿題」とかいう言葉を
聞いただけでもう、
「やりたくな~い」
「楽しくな~い」
「でも、我慢してやらないと叱られるもの」
というイメージを持っている子どもが
大半なのではと感じます。

 

私が小学校に入った時のことを思い返してみると、
「時間割表」というものがもう決まっていて、
いつも教室に貼られていました。

 

どうして、その順番で勉強するのか疑問にも思わず、
「1時間目は国語です」と言われたら、
国語の教科書を机の上に出しました。

 

「○ページを開いて」と、先生が言ってくれるので、
言う通りにしていました。
「この問題を解きなさい」と言われれば、
やりたくなくても言われるままに、
とりあえずやりました。

 

同じクラスの子どもたちと同じことを同じ時間に
同じ場所でやることが「当たり前」
だと思っていました。

 

やがて、学年が進み、中学生、高校生となり、
成長するにつれて、まったく興味も湧かないし、
理解できない科目も増えてきました。

 

「こんなことやって、将来、何の役に立つんだ?」
と疑問を持つようになりましたが、とりあえず、
折々に行われるテストである程度の点をとらないと、
その先の進路に進めないことになっているので、
しょうがないなとあきらめ、「我慢してやるもの」
だと思うようになりました。

 

多少、「おもしろい!」と思う科目はあったものの、
「勉強」に、あまり良いイメージはありませんでした。
大人になってからようやく、
「もっと勉強しておけばよかった」とか、
「勉強するって楽しいものだな~」などと
思えるようになりました。

 

オランダの子どもたちを見た時に、
「これだよ!本来の勉強って!」と思いました。
勉強って、本当はものすごく楽しいものじゃないのか。
知りたいことを調べてみようと思うワクワク感、
知らなかったことがわかる喜び、
できなかったことができるようになる達成感、
それらを体感できるのが勉強じゃないのか?と。

 

本当にやりたいこと、やっていて楽しいことは、
自然と主体的になれます。
子どもたちが勉強にやる気を持てないのは、
基本的に、外から一方的に与えられる勉強だから。

 

私が見てきたオランダの学校では、
「あなたは何を学びたいの?」
きいてもらえます。
勉強したいことを、自分で選んで、
自分で決められるのです。

 

「郵便」のことを勉強しようと思ったら、
皆と同じことからでなくてもいいのです。
手紙の書き方から入ってもいいし、
切手の種類から入ってもいい。
興味を持ったところから勉強できます。

 

「これ!知りたい!」
「これ!何だろう?」
という気持ちから勉強に取り組みます。
だから、ワクワクします。
基本的に、「やりたい!」と思うことに対して、
「よし!やる気を出してがんばろう!」などとは
思わないものです。

 

「やる気を出しなさい」
「もっとがんばろう」
と外から動機づけるのではなく、
子どもたちが内側から「やりたい」、
「学びたい」という気持ちを発露させる、
そんな環境をもっと作れたらと思います。

 

そのためには、子ども自身の希望をもっと
きいてみたらよいのではと思います。
「何をしたい?」
「何が知りたい?」
自分で考える力は、そんなところから
育まれるのではと思います。

 

「あなたは何をしたい?」ときかれないので、
自分で考えて決める習慣を持たないまま成長し、
大人になっても、「やりたいことがわからない」
と言っている人が案外多いように思います。
自分の人生なのに、どうして、自分で決められない
ないの?
人に決めてもらおう
とするの?

 

もっときいてみてほしいです。
「あなたは何をしたいの?」と。
それを続けていったら、
「やる気を引き出す」などという発想はもう
要らなくなる
ように思います。

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